■ヴィパッサナーとは?

 ヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上前のインドで、人類すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されてきました。
 パーリ語で、ヴィは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、パッサナーは「観察する・観る・心の目で見る」という意味。つまり、「ものごとをありのままに観察する」のが、ヴィパッサナー瞑想ということになります。
 ゴータマ・シッダッタ(パーリ語読み。シッダルタはサンスクリット読み)は「人が生きるこの世界は、どのように成り立っているのか」という問題を考え続け、その答えにたどり着いてブッダ(悟った人)になりました。あらゆる修業や瞑想方法を試したあとでも、自分の中に心のにごり(苦悩)が消えないことに気づき、最後にたどり着いたのが、ヴィパッサナー瞑想だったのです。

 以下、S.N.ゴエンカ師の講演より抜粋(全文はこちら)。

ブッダは、宗教や主義を作ったり説いたことはありません。儀礼や祭礼、無意味な儀式を教えたことはありません。ブッダは、内なる現実をありのままに観察することによって、その本質を理解することを教えたのです。人は無知ゆえに、自分や他の人を傷つけるような反応を繰り返します。けれども、現実をありのままに観察する智慧が生まれるとき、この反応という習慣から抜け出すことができます。盲目的な反応をやめるとき、人は本当の意味での行動をはじめます。それは、バランスのとれた心、真理を見通し理解する心による行動です。そのような行動は、自分にも他の人にとっても、建設的で創造的、そしてとても有効なものです。

ヴィパッサナーは、誰にでもできる実践法です。すべての人たちが苦しみを抱えています。病に宗派がないように、その治療法にも宗派はありません。心に怒りが生まれたとき、その怒りに仏教徒の怒りやヒンズー教徒の怒り、キリスト教徒の怒りなどの違いはありません。怒りは怒りでしかありません。怒りによって心が動揺した時、その動揺にキリスト教やユダヤ教、イスラム教の違いはありません。病は普遍的なものですから、その治療法もまた普遍的なものでなければなりません。

ヴィパッサナーは、普遍的な治療法です。人びとの安らぎと調和を尊重するための規律を守ることに反対する人がいるでしょうか。心をコントロールする力を養うことに、誰が反対するでしょうか。自分自身の真実を観察することによって、否定的な感情から解放されることに、誰が反対するでしょうか。ヴィパッサナーは、普遍的な道なのです。


●ヴィパッサナー瞑想の種類

 ヴィパッサナーと呼ばれている瞑想方法は、実はいくつかの種類があります。S.N.ゴエンカ師は、2〜3種類の瞑想法を試してみて、自分にいちばん合うものが見つかったら、それを続けなさいと言っています。

  Webサイト「智恵の海」を主宰している伴浩明さんによると、日本に伝えられているものは以下の5種類があるようです。ヴィパッサナーを理解するうえでも、たいへん参考になるサイトなので、ぜひほかの記事もご覧ください。

・パオ式
ブッダの時代から変わらずに伝えられていると言われる、ミャンマーに伝わる最も伝統的な方法。パオ・セヤドー(1934〜)によって広められている。出家者向けの瞑想法といわれ、パオの修業を終了するのに早くても数年、一生かけても終わらない人も多い。集中力を高めるサマタ瞑想を行ない、指導者が選んだ十数種類のサマタ瞑想をマスターしてからでないと、ヴィパッサナー瞑想はやらせてもらえない。

・マハーシ式
ミャンマーのマハーシ・セヤドー(1904〜1982)によって、パオなどの伝統的瞑想法を基に考案された瞑想法。一般の出家者、在家者がより修業しやすく変更した瞑想法で、サマタとヴィパッサナーを区別することなく、修業の初めからヴィパッサナーを行なう。瞑想中の気づき(サティ)を言語で確認するラベリングが最大の特徴となっている。座禅のほか、歩行禅を行なうのも特徴的。ミャンマーだけでなく、スリランカやタイに伝わる上座部(テーラワーダ)仏教でも、この瞑想法が主流になっている。

・ゴエンカ式
ミャンマーに伝わる仏教の修行法を元に、サティア・ナラヤン・ゴエンカ(1924〜)の一派によって開発された瞑想法。パオ式が出家向け、マハーシ式が出家・在家両方向けであるのに対し、ゴエンカ式は在家向け。最初に10日間の合宿に参加することが必須で、3日間はサマタ瞑想のひとつである、呼吸を見つめるアーナパーナ・サティを行ない、残りの7日間はヴィパッサナーを行なう。

・ルアンポー・ティアン式
タイ上座部仏教の僧侶ルアンポー・ティアン(1911〜1988)により20世紀に開発された瞑想法で、この呼び名は伴浩明さんによる便宜上のもの。手動瞑想と歩行瞑想を行なうが、ルアンポー・ティアンによって編み出されたチャルーン・サティ(手動瞑想。タイ語で「気づきの開発」の意)が大きな特徴。特殊なテクニックをなるべく用いずに、日常での体や心の動きに気づいていることを重視する。日本人では、プラユキ・ナラテボー比丘(1962〜)がこの瞑想法を受け継いでいる。

・オショウ式
オショウ(バグワン・シュリ・ラジニーシ 1931〜1990)によって、20世紀に開発された瞑想法。上記4つは上座部仏教系だが、オショウは異色。瞑想の導入に音楽や催眠誘導などのテクニックを使い、瞑想に入りやすくしたり、集中することを重視しないで、ただ自然に見つめ洞察することのみを重視する。

 ヴィパッサナーは自己観察により自己の本質を洞察する智慧の瞑想ですが、それに対しサマタ瞑想は集中力によって心を安定させる瞑想です。しかし、心を安定させることと自己の本質を洞察することは密接に関係していることもあり、厳密には区別できない場合があります。
 したがって、サマタを初めにしっかりやって心を安定させてからヴィパッサナーを行なう流派(パオ、ゴエンカ)と、いきなりヴィパッサナーから入る流派(マハーシ、ルアンポー・ティアン)があります。(オショウはまた別のアプローチを取っています。)
 このように流派によって瞑想法が定められていますが、心を安定させて自己観察ができるのであれば、極端に言ってしまうと、どんな方法でも可能です。


●ゴエンカ式ヴィパッサナーについて

 ゴエンカ式について、少し補足させていただきます。セヤドーまたはサヤドォの名前表記は同じものだと思いますが、ここでは区別せずに使わせていただきます。サヤドォ」という呼称は、「尊い師」という意味を持ち、元来は、王様にダンマを説いた長老に与えられた敬称でしたが、現在は徳のある尊い僧侶に対して使われる一般的な敬称として用いられています。また、ミャンマーという国名は1991年に軍事政権がビルマから変更したものであるため、それ以前の史実ではビルマと表記しています。

 S.N.ゴエンカの師匠に当たるサヤジ・ウ・バ・キン(1899〜1971)は、大蔵省主計局長室初級事務員として働いており、インドから独立してイギリス連邦内の自治領となった1937年に、会計検査院の責任者に選ばれました。同年に、裕福な農夫で瞑想指導者であったサヤ・テッ・ジからヴィパッサナー瞑想を習います。公務員として働き続けた彼は、1948年にビルマ連邦として独立するときに主計局長に任命されます。その2年後、ウ・バ・キンは主計局室ヴィパッサナー協会を設立。在家者、主に主計局に勤務する人がヴィパッサナーを学べる場を作り、腐敗していた主計局を健全化し、効率よく仕事をこなして国内の評判を呼びました。

 サヤ・テッジ(1873〜1945)は、在家のヴィパッサナー指導者としてビルマでもっとも知られていました。当時、在家の人でヴィパッサナーを指導する人はまれであったので、教典に精通していないなど、いわれもない非難を受けたようです。けれどもサヤ・テッジはただ聞き流し、反論しないで、彼ら自身が体験し、悟るのに任せたそうです。
 サヤ・テッジは、師であるレディ・サヤドォから「数千名の人に教えなさい」と言われ、30年以上もの間、レディ・サヤドォの手引き書を参照しながら、道を求めてやって来るすべての人にヴィパッサナーを指導しました。その使命を達成したと感じたとき、72歳になっていました。

 レディ・サヤドォ(1846〜1923)は、8歳のころから伝統的な僧院学校で学び始めました。15歳のときに見習い僧の資格を授かり、20歳のときに比丘となります。36歳のときに、パーリ語の仏教聖典全体を教えていたマンダレー州モニワに移り住み、アーナーパーナ(呼吸)とヴェーダナー (感覚)を観察するという、ビルマに伝わる伝統的な方法でヴィパッサナーの修行を始めます。
 レディ・サヤドォがモニワに移った2年後の1885年、イギリスはビルマ北部を制圧し、当時の王・ティボォを追放。レディ・サヤドォは森の中にこもって瞑想を続けましたが、多くの比丘が瞑想法を指導してほしいと、彼の元を訪ね始めました。1897年に『Paramattha-dipani(究極の真実の手引)』を出版し、続いてパーリ語文法についての『Nirutta-dipani』をまとめたことで、彼はビルマでもっとも博識な比丘のひとりとして知られるようになりました。彼はまた、ビルマ語でダンマについて数多くの本を書いていますが、学問のない農夫でも理解できるように心がけていました。


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